島根の出雲大社に神様が集結!その成り立ちの歴史を簡単におさらい

こんにちは、菜々小町です。

島根県にある出雲大社では、毎年、日本全国から神様たちが集まる月があるといいます。

なんでも大切なことを決めるため、出雲大社に集結するそうなのです。

一体、何をするために全国から神様たちが集合するのでしょうか? 

そんな出雲大社の成り立ちの歴史を簡単にご紹介いたします。

島根の出雲大社に日本の神様たちが集まるのは何のため?

出雲大社(いづもおおやしろ)は、縁結びのご利益があることで有名ですね。

良縁を願って、全国から島根県にある出雲大社に参拝に訪れる人が後を絶ちません。

ご縁とは、男女の出会いだけではなく、友人関係や仕事でのお付き合い、趣味などを通してのご縁や、住む場所や職場、旅行先などのご縁など、さまざまです。

どの人も良いご縁を願い、お参りします。

その縁を結ぶための大切な会議が、出雲大社で行われているのです。

三重県にある伊勢神宮と並んで重要視されている島根の出雲大社は、日本中の神様たちが縁結びの会議のために集まる場所でもあります。

では、一体、いつ神様たちは出雲大社に集まるのでしょうか?

普段は日本各地に散らばっている神々たちが、縁結びの相談をするために毎年10月に集まるといわれています。

年に一度、10月に各地から集まった神様たちが、いつ、何処で、どの人とどの人を結びつけようかと、あーだの・こーだの・なんだのと話し合うのです。

毎年10月は、日本全国の神様たちが島根の出雲大社に出掛けてしまい、各地では神様が不在になるため、10月を「神無月(かんなづき)」といっています。

一方、全国から神様たちが大集合する出雲では、10月は「神在月(かみありづき)」と呼ばれ、やって来た神々たちは1ヶ月もの期間、出雲に滞在するそうです。

『ご縁を結ぶ相手や出会う日時はいつなのか? 』『 場所は何処にするか?』 などを事細かに決めるのはそう簡単ではないということですね。

一年に一度の会議で、しかも1ヶ月間の出張ですから、それなりの準備をして出掛けることになります。

まず、島根の出雲大社に神様を送り出す各地では、「神送り」といって、旧暦の10月1日、出雲へ出掛ける神様にお弁当を用意します。

お餅をついて、藁でしばり、床の間・台所・神棚の3カ所にお供えしたり、あるいは、地方によってはお赤飯をお供えするところもあるようです。

島根県近郊ならまだしも、遠い地方の神様は道中、お腹が空いてしまうため、お弁当が必要なんですね。

そして、出雲に着いた神様たちは、受付担当の龍蛇神の化身である海蛇に稲佐の浜(いなさのはま)から出雲大社へと案内されます。

これを「神迎え」といって、旧暦の10月10日ごろになります。

神様たちが会議を行う大会議室とも呼べる出雲大社の「上宮(かみのみや)」や、全国から集まった神様たちの宿舎とされる境内の「東西十九社(とうざいじゅうくしゃ)」では、旧暦の10月11日から17日までの七日間にわたって「神在祭(かみありさい)」というお祭りが行われます。

遠路はるばる出雲にやって来た神様たちをおもてなしするのです。

そして、1ヶ月後、無事、会議を終えて帰って来る神様たちを各地でお迎えしますが、神送りの時と同じようにお餅をついて、けんちん汁のように里芋やごぼうなどを入れた汁物にして神棚にお供えする「神迎え」をするのが旧暦の10月末日となります。

「お帰りなさいませ!」と神様をねぎらうのです。

このように毎年10月は、縁結びの会議のために日本全国から神様が集まります。

また、神様を送り出す各地や迎え入れる出雲では、それぞれに行事が行われているのです。

島根の出雲大社に日本全国から神様たちが勢揃いするなんて、すごいですよね!?

その場に集まった神様たちのパワーって、ちょっと想像できません。

そんな出雲大社の成り立ちとは、どんなものなのでしょうか?

その歴史を簡単に振り返ってみることにしましょう。

簡単におさらい!神様たちが勢揃いする出雲大社の成り立ちの歴史

日本には、「八百万(やおよろず)の神々」といわれるほど、多くの神様がいらっしゃいます。

その神様たちの歴史は古く、それぞれの神様には特長もありますが、わかりやすく簡単に分けると古事記や日本書紀の中では、神様たちの多くは、天にある高天原(たかまのはら・たかまがはら)と地上の国である葦原中国(あしはらのなかつくに)にお住まいになっていらっしゃるそうです。

高天原に住む神々を天津神(あまつかみ)、葦原中国に住む神々を国津神(くにつかみ)と呼んでいます。

葦原中国は、「大国主神(おおくにぬしのかみ)」が治めていましたが、高天原に住む「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」に国を譲ることになりました。

その時の交換条件として、大国主神は自分の住まいを大きく立派なものにするようにと要求したのだそうです。

国を譲ってもらった天照大御神は、大変お喜びになり、大国主神に壮大な宮殿を贈ると共に「今後は、子孫の天皇が日本を治めるが、目に見えぬ縁を結ぶ神事は大国主神が司る」というお約束を交わされました。

その宮殿が、島根県にある出雲大社になります。

出雲大社といいますと、神楽殿のあの大きく立派な注連縄(しめなわ)と大社造(たいしゃづくり)といわれる本殿が有名ですね。

大社造の特徴は、建物の脚の部分が長く、地面から建物の床までの高さがある高層建築です。

出雲大社の本殿は現在、全国の神社の中で最も高いのですが、古代の出雲大社は、平安時代の東大寺大仏殿よりも高層だったといわれています。

当時の大仏殿は、高さが15丈で約45メートルだったとされていますが、出雲大社はそれを上回る16丈の約48メートルあったのではないかという説があるようです。

因みに、大国主神が天照大御神に葦原中国を譲ってからは、天照大御神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が地上(高千穂)に降り立って日本を治めることになります。

これが「天孫降臨(てんそんこうりん)」と呼ばれるものです。

天照大御神の子孫が日本の象徴となり、国の繁栄のために活躍される歴史は、瓊瓊杵尊からはじまり、そして初代天皇の神武天皇以降もずっと受け継がれてきています。

ですので、古事記や日本書紀によると現在の天皇は、天津神である天照大御神の子孫ということになりますね。

このように島根の出雲大社の成り立ちの歴史をみると、出雲大社とは大国主神が天照大御神に国譲りをした時にそれと引き換えにもらった住まいとされています。

そして、大国主神は目に見えない縁を結ぶ神事を司る神様なのです。

そのため、毎年全国から神様たちが出雲大社に大集結し、縁結びの会議が大国主神によって執り行われているのです。

まとめ

島根の出雲大社では、毎年、全国から神様たちが集まって縁結びの会議が行われます。

その大会議は、一年に一度、10月に執り行われ、神様たちはおよそ1ヶ月もの期間、出雲大社に滞在されます。

そのため、各地で神様が不在になる10月を「神無月」といい、神様たちが集まる出雲では10月を「神在月」と呼んでいます。

その会議の執行役員が、出雲大社のご祭神である大国主神です。

出雲大社の成り立ちの歴史をごく簡単にまとめると、大国主神は、天照大御神に国譲りをした時にそれと交換に住まいとして出雲大社をもらい受け、また、目に見えぬご縁を結ぶという役目を賜りました。

そのため、日本全国から神々が、縁結びの会議のために大国主神のいる出雲大社に集結するのです。

恋愛や友人との縁、仕事や家族、ご近所さんとの縁など様々ですが、目に見えぬご縁は、神様たちのお導きによるものなんですね。

以上、最後までお読みいただき、ありがとうございます。

菜々小町

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